「帝国」の郷愁から脱する外交を
三浦まり【上智大学法学部教授】
岸田政権は日本をどこに向かわせるのだろうか。2022年末に矢継ぎ早に決まった方針をみていると、「帝国」の郷愁にしがみつきたい人たちがいまだに多いのではないかという気がしてくる。
今後5年間で防衛費をGDPの2%に増額し、年約6兆円の予算を約11兆円へと倍増するらしい。昨今の国際情勢の変化があるとはいえ、これがあっさりと決まったのには拍子抜けした。不思議なことに、大きな反対運動は起きていない。敵基地反撃能力の保有についても、今のところ世論は静かだ。これらの方針転換は日本を根本的に異なる国家へと変質させるものだ。
経済を見れば、日本が貧しくなったことを多くの人が実感し始めている。デジタル化の遅れとあわせ、経済大国の記憶は過去のものとなった。防衛費が倍増すれば増税は避けられないだろうし、福祉や教育の予算も削減されかねない。
経済の衰退を軍事化で埋め合わせんとするかのような方針の背景には、西洋社会に対して、東洋の盟主としての座をなんとか守りたいという心理が働いているのかもしれない。東洋は無理でも、「インド太平洋」の旗手ならば手が届くとする外交方針は、創始者の安倍元首相の死後も続いている。
これでは、帝国の幻影を追い求めているかのようだ。アメリカへの恭順な姿勢が現代版の脱亜入欧として、日本に栄光をもたらすかという幻想だ。帝国と植民地支配の総括と清算を怠ってきたことが、こうした郷愁を生きながらえさせているのではないだろうか。過去の残虐さと醜悪さを見つめ直せば、そのような未来を欲することなどできないはずだ。特に、国境を超えて女性たちが受けた傷を思い起こせば、愚かな判断にしか映らない。
再び帝国を手に入れても、それは栄光ではない。そして、残念なことに、いや、幸運なことに、日本の国力において帝国を建設することはできない。そう考えれば、日本が歩むべき方向性も見えてくる。
2023年は外交・安全保障をめぐる攻防が激しくなるだろう。日本が平和国家であるとの自負が消滅したとは思えない。戦争を起こさせないためには、市民社会の役割が一層大きくなる年となりそうだ。
(生活経済政策2023年1月号掲載)