あえて西欧社会民主主義の存在意義を問う
住沢博紀【日本女子大学名誉教授】
中国が入らず、ロシアも資格停止となり、「アメリカ・ファースト」のトランプ大統領では、「主要国」首脳会議(G8)も存在感を喪失している。そもそも西欧自由社会とデモクラシーの価値が、限りなく曖昧になっている。戦後、西側世界をモデルとしてきた日本の議会制民主主義も、仮想通貨のように、最終的な責任の引き受け手が不在のままで、ただ回っているように見える。
かつて、といっても20年ほど前だが、西欧自由社会には、保守主義、自由主義、社会民主主義という確固とした価値体系と、それぞれを尊重する多元的な社会が存在していた。西欧自由社会は、自由、平等(公正)、連帯と「持続可能性」などのユニバーサルな価値観に媒介された、多くの人々の民主政治への「共感」に立脚していたのである。今、保守主義は偏狭な自国中心主義やポピュリズムに陥り(アメリカではプロテスタント原理主義に)、自由主義は資本や個人の利益最大化の自由に転じ、社会民主主義は脱工業化のなかでパワーを失っている。オランダ、フランスでは壊滅状態に陥っている。
しかし市場でも、国家でもなく、より公正で自由な連帯社会を求める社会民主民主義の存在意義がなくなったわけではない。アメリカ大統領予備選挙では、おそらく全有権者の4分の1ほどの支持を得たであろう B.サンダースの政策は、欧州社民政党によりかなりの程度、実現されている。社会民主主義の起源は、軍国主義、階級支配、資本権力などに対抗する、人々の社会運動にあった。軍国主義、ファシズムに対する抵抗はひ弱であった。しかし資本主義をより公平な社会的なシステムに改革すること、そしてソ連型共産党独裁の社会主義に対して、自由に立脚し人々を豊かにする経済システムという対抗モデルを提示することには功績があった。
今、トランプのアメリカは、ビジネスモデルを合衆国の政治に代替しようとしている。また新興覇権国家、中国は、国家資本主義と優れた経済パフォーマンスを持つ革新的企業の結合した新しいタイプの市場経済を、共産党独裁の成功モデルとして世界に広めようとしている。西欧社会民主主義は、この二つのグローバルな潮流に対して、対案となりうる社会モデルを提示できるのだろうか。21世紀における存在意義が問われている。
(生活経済政策2018年6月号掲載)