二つの主要危機後、世界ガバナンスの変化
西川 潤(早稲田大学名誉教授)
21世紀に入って、世界は二つの主要な経済危機を経験した。一つは2007~09年のアメリカ住宅不良債権危機、リーマンショックであり、第二はそれに続くもので、バブル崩壊で麻痺した金融機関、経済を救済するための政府による超金融緩和、財政出動が生み出した国家債務危機である。そして、世界資本主義システムはこの危機から立ち直るに至っていない。
この経済危機は、世界ガバナンスの変化と相伴った。いやむしろ、20世紀末以来進行した世界ガバナンスの変化が、先進国の金融・経済危機を促進したとも言えよう。
冷戦体制の解体以降、世界政治経済のガバナンスは当初、G7首脳会議により担われるかに見えた。だが、この頃から新興国の台頭はめざましく、2008年には、世界金融危機を受けてG20の「金融・世界経済に関する首脳会議」が発足する。G20では非欧米国が多数派を占め、いまでは世界経済問題を新興国抜きで話し合うことはできない。OECDの2010年報告『四速経済における富のシフト』は、新興国の台頭が先進世界から南への富の流出を伴っていることを指摘したが、世界はキャッチアップの時代に入っているのだ。
先進国の経済がマネー経済化し、実体経済の成長が伴わないまま、流動性を増大させて、政権の延命が計られている。それが、アメリカでのバブル経済、サブプライム・ローン危機を招いたことは周知の事実である。その後始末が、先進国軒並みの赤字財政、債務累増を導いた。南欧諸国で噴出した国家債務危機は氷山の一角にすぎない。
だが、アメリカも昨年10月には国債デフォルトの危機が露われ、政府機関が一時閉鎖される騒ぎとなった。この国家経済危機に直面して、多くの国がナショナリズムに一時の出口を求めている。東アジアで見られる国家対立もその一環だ。安倍政権の目指す安保強化、集団的自衛権、中国との対決姿勢等はナショナリズムにより、国民の目を国家主導型経済の危機からそらすものと言える。大企業優遇、トップダウン型の安倍政治は、破局と戦争の道につながる。これを避け、平和と近隣友好の道を選ぶのであれば、それに代わって、地域主権、内需と社会発展、社会的公正等、国民の立場からする危機への回答を示す課題が、私たちの眼前に立ち現れている。
(生活経済政策2014年5月号掲載)