普天間基地移転と本土の市民
辻山 幸宣((財)地方自治総合研究所所長)
暮れも押し迫った12月24日、新年度予算で沖縄振興予算が要求額に上積みした3408億円余と決まった。あわせて安倍首相が閣議で「沖縄振興計画期間(2012から21年度)は毎年3000億円台を確保する」と述べたことが大きく報道された。辺野古沿岸埋め立て申請に仲井真知事の許可を得ようという政権が「沖縄県民に最大限の配慮を示した」(読売12月24日)ものとされた。知事は「驚くべき立派な内容を提示していただいた。御礼を申し上げる」と述べ、「いい正月になる」と記者団に語ったという(琉球新報12月25日)。そして日をおかず27日に埋め立てを承認した。はたして、どれだけの県民が知事と同じく「いい正月」を迎えることができたであろうか。沖縄の年末年始は、知事の辺野古埋め立て承認をめぐって大揺れに揺れたことが地元報道から読み取ることができる。だが、日本本土の世論はさほど盛り上がりはしなかった。本土の市民にとって普天間基地の辺野古移転は「沖縄の問題」でしかないのであろうか。
長らく米軍の統治下に置き去りにしてきたことに対する「償いの心」で、戦後日本は沖縄振興開発予算をはじめとする復帰プログラムを推進してきた。復帰の1972年度から2009年度までにこれらにより計上された振興開発事業費は8兆7885億円にのぼるという。一部にはこの数字を「償いの心」に基づく「巨額な特別措置」という見方もあるが、復帰後37年間の合計である。「本四連絡橋」3本の建設費2兆5000億円余と比較してどう思われようか。この沖縄振興プログラムを小熊英二氏は「沖縄の基地負担の見返りとして、日本政府は経済成長で得た原資をもとに、公共投資を注ぎこんできた。また沖縄の基地地代や『思いやり予算』などの米軍駐留費も、やはり経済成長を原資に日本政府が負担した。これが『沖縄の戦後体制』、ひいては『日本の安全保障の戦後体制』だった」と述べている(小熊英二時評集『私たちはいまどこにいるのか』毎日新聞社2011年)。
そして小熊氏は、「戦後体制の終わり」これが沖縄でも起こりつつあるという。いま壮絶な闘いを繰り広げている地元名護の市長選挙がその一面を示している。だが、それを沖縄の自己決定=「自治」の政治的表出だとしてよいであろうか。ここでも本土の市民は、この自己決定=「自治」の埒外に位置を占め、「吾関せず」でいくのだろうか。この静寂とも思える本土の世論を見ながら、慌てて沖縄の地元新聞の定期購読を申し込んだ。その報道の質量の落差は同じ国にいるのかと思わせられるほどである。
いま、日本国民のひとりとして、沖縄だけでなくこの国の基地問題全般、特別秘密保護法、集団的安全保障問題など日米安保体制に関する動きについて政治的な声を上げていくことが沖縄の困難に向き合うことだと思えてならない。
(生活経済政策2014年2月号掲載)