気づかされた忘れ物
臼杵 博(日本郵政グループ労働組合委員長)
3月11日14時46分。あの震災発生から一年が経とうとしている。当時、私が大阪で講演を終えようとしたその瞬間に起きた出来事であった。テレビからは現地の被害状況と生々しい様子を映像で伝えてくる。あまりの恐ろしさに身がすくんでしまったことを今でも忘れることはない。
繰り返し映し出される現地の状況。自然の力になすすべもなく、津波で流され一変する街の情景。容赦なく家や船や車、そして大切な家族までも奪っていく。その事態をただ見つめるしかできなかった避難民たちの姿が映し出される。何も出来ない悔しさを超えて、地獄を見る思いだったことだろう。
東日本大震災――1月24日現在で死者1万5845人、行方不明者3375人、避難者33万7819人。凄まじいばかりの被災状況である。
地震・津波・原発事故・風評被害の苦しみの中からの復旧・復興、そして再生の道は遠い。特に原発事故はその動きをさらに難しくしている。この間、国や国民は何を学び得ることができただろうか。おそらく被災地の皆さんは悲しみのどん底に落とされ、生きるすべを失った日々が続いたものと心が痛む。
しかし被災地の皆さんは負けていなかった。日を追う毎に立ち直りの足音に力強さがでてきた。その原動力となったのは助け合い、支え合う「絆」の強さにあったと思う。年末に「今年の漢字」にも選ばれた「絆」とはけっして無縁ではない。
戦後の荒廃したわが国の復興を高い経済成長の中で成し遂げてきたが、一方で人の温もり、人と人や社会とのつながり、人の痛みを感じ合える社会をどこかに忘れてきたように思う。
最近、巷のブームになりつつあるのが昭和の風情に触れ合おうとする動きである。疲れ切った心を癒そうとする人々の足を向けさせるのかもしれない。今話題となっている「三丁目の夕日 ’64」は共に支え合いながら生きていく人間模様が主役。そこに人々は癒しの居場所を感じているのかもしれない。
今回遭遇した震災の代償はあまりにも大きいが、私たちに改めて国、社会のあり方や国民の生き方を問い直そうと教えてくれたのかもしれない。改めて「絆」を「気づかされた忘れ物」として大切にしていきたい。
(生活経済政策2012年3月号掲載)