「新しい公共」の生命力
田中 尚輝(NPO法人市民福祉団体全国協議会専務理事)
あれほど熱狂的に迎えられた政権交代も2年少し前のこととは思えず、随分昔のことであったように感じるようになった。この間、民主党が持っていた輝きはなくなり、自民党とそっくりになり、官僚支配の元での小使の役割を演じている。
だが、この政権交代は何も残さなかったのか? 私のようにNPO業界に位置しているものから言えば、次の2点は政権交代がなければありえなかったことだ。
その1つは、NPO税制の改革であり、ラフに言うとNPO法人に寄付をするとその半額が税制控除される。つまり、100万円寄付すれば、約50万円税金が減額されると言うことだ。これは税金の流れを変えることであり、自民党政権であったら財務省主導で絶対にできなかったことだ。 2つ目は、「新しい公共」という社会のあり方についての提起だ。これは官による「公独占」から市民に公を開放しようというものであり、明治時代以来の社会構造の世紀的な転換といってよい。
すでに1998年にNPO法が形成され、市民は自主的に公を担うツールを確保していた。しかし、それは日陰の花であり、社会の王道を歩く状況ではなかった。だから、行政もNPOを下請け業者として扱った。ところが、「新しい公共」の提起は、古い公共としての行政と新しい公共の軸としてのNPOという形を誰の目にもわかるように提示し、日陰から太陽の元に移された。
じつはこの2つの政策とも鳩山首相の提起であり、政権交代の熱気がのこっている間に実行が決められたものであった。その後の菅、野田首相からは完全に官僚コントロール下にはいる。2011年から今年にかけて、「新しい公共推進事業」として、80億円程度の予算を組み、各都道府県に2億円程度の配分をおこない、新しい公共を具体化しようとしている。私個人は長野県の円卓会議(阿部知事も委員の1人だ)の座長に就任し、この事業の前進を図っている。市民が内発的・自発的に「新しい公共」をつくりあげようとすることは「公共善」を社会の真ん中にすえることを意味し、このことを実施していけば、社会の原理的な再編に突き進まざるを得なくなる。
心配なのは、野田首相は就任以来の施政方針演説で「新しい公共」という言葉を一切登場させておらず、この比重は小さくなっている。だが、一度、市民の内発性・自発性に火をつけると原理的な課題であり、燃え続けることになるだろう。
(生活経済政策2012年2月号掲載)