「支え合い」と消費税の増税
田中信孝(岩手県立大学総合政策学部教授)
私たちは社会的な連帯のなかで働き生活をしています。大震災の惨状のなか、多くの人が自ら救援活動に参加し被災者への支援を惜しまず、被災者に少しでもたすけになりたいとの思いで、ある人は物資や義援金をおくり、アンテナ・ショップで買いものをし、ある人はがれき処理も厭わず手伝います。また、地域のコミュニティーが残る被災地では、支え合いが支援につながっています。これらの姿は健全な社会の証を示すものです。そして、人々の励ましと被災者からの感謝の言葉のやりとりに涙を流しながら、私たちは社会のなかで支え合って生きていることを実感します。
ところで、復興気運に「便乗」するように、消費税の増税を主張する向きがあります。「被災者のためにできるとすれば、消費税の増税に賛成することだ。国民が広く負担してくれないと復興はできない」「国民すべてが消費税で広く薄く負担しながら復興の支援をするというのであれば、多くの人が消費税の増税に賛同するのではないか」などというものです。私はこれに同意できません。
首相退陣騒動のさなか、7月1日の閣議に報告された「社会保障・税一体改革成案」は、「国民が広く受益する社会保障の費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点」から、消費税の増税と社会保障目的税化を訴えています。これに先立ち、菅首相は「超高齢時代に合った支え合い」など「支え合い3本柱」を指示しました。
いうまでもなく、国には国民の生存権を保障し社会保障等を増進する責務が課せられています(憲法第25条)。社会のなかで痛みを分かち合おうという人々の善意や真心から行われる無償の救援活動と、政府が当事者となる税・財政制度とには基本的な違いがあります。後者には「無償性」のほかに「強制性」が加わります。そして、政府は無償性と強制性を拠り所に、資源配分や国民間の所得再分配を行います。そのため財政は民主主義のルールに則り、政治のプロセスを経て統制されることになります。とりわけ租税制度のあり方をめぐって、社会生活で育まれた「支え合い」や「分かち合い」を政府や政治家が口にするとき、そこに隠された大衆課税強化への意図に注意しなければならないと思います。
(生活経済政策2011年9月号掲載)