「電気」について思う
浅沼弘一(電機連合書記長・生活研理事)
先の震災で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
震災の及ぼした影響は多くの分野に及び、中でも関東近辺各地で実施された計画停電では、対象となった地域に全く電気が供給されないということになりました。対象となった地域の方々には、日々の生活に大きな不便と不安を経験されたのではないでしょうか。大規模停電という惨事を回避することが出来たのは、この犠牲によるものであり、対象となった地域の皆さんには、心からお礼を申し上げたいと思います。改めて電気のない生活など全く考えられないということを実感されたのではないでしょうか。
その電気が足りません。この夏を乗り越えるのに、相当な努力が必要な状況になっていることはご存知のとおりで、これに対しては使う量を減らす、逆に少しでも多く電気を作り出すかのどちらかしかありません。
使わないという面から考えてみると、短期的には照明を最小限にするとか冷房の設定温度を上げるということぐらいしか出来ませんが、少し長い目で見ると、空調機などの徹底した省電力化やLED照明のような今までの延長線上にないような製品を利用することも極めて有効です。そういう製品をどんどん世に出すことは、メーカーの果たすべき社会的責任でもあると思います。
一方の、電気を作り出すという面はなかなか難しい。原子力発電にこれ以上頼れないということになれば、太陽光発電や風力発電にということになるのでしょうが、いずれもその効率や蓄電の必要を考えると、今のところ電力供給の基盤とするには心もとないのが現状です。電気を使う側と同じように、既存の発電装置も技術革新によって相当効率は上がっています。話題になったガスタービン発電などはその最たるものですが、火力であれ水力であれ原子力であれ、磁石の間に置いた電線をぐるぐる回すことで発電するという根本のところは、商用発電が浅草で始まった120年前から何も変わっていません。電気を作るという面においても、これまでの延長線上にない、高効率で環境負荷の少ない全く新しい発電装置が必要とされるのではないでしょうか。これは、企業の枠を越えて国を挙げて取り組むべき課題であると思います。
電気を使う側、作る側、加えてその道具を作る側の三者がそれぞれに努力をしないと、常に大規模停電の不安に苛まれることになってしまいます。そうならないためにも冷静なかつ時間軸を意識した議論が必要ではなかろうかと思います。
(生活経済政策2011年7月号掲載)