暴走する資本主義と民主主義の民主化
井上定彦(島根県立大学総合政策学部教授)
洞爺湖サミットでの地球環境問題の議論を聞いていると、はたして人類の未来は大丈夫なのだろうか、と深い不安を感じたのは筆者だけではないだろう。しかも、米サブプライムローンに端を発し表面化した世界金融危機のひろがりに対して、これといった有力な政策的方向策をうちだすこともできていない。この世界金融危機は「大不況下の世界」(チャールズ・キンドルバーガー)が描いた1930年代の暗い世界にますます似通った深刻な課題となってきた。ドル下落の懸念と世界規模の信用収縮がおこるなかで行き場を失った投機資金は、今度はなんと原油・穀物市場に流入し実需の逼迫予測を上回る「米相場」「小豆相場」化の様相を呈しはじめている。そのため、高騰したこれら原材料の輸入に依存し爆走してきた中国、インド、ヴェトナムをはじめとする新興工業諸国では8 〜10% を越えるようなインフレーションの局面に入り、当該地域で社会紛争が激発する背景となっている。
米発世界金融危機のみならず、日本の1990年代からの「失われた10年」の経験を一部には適用できる面があるが、またさらに1970年代の石油危機後の「スタグフレーション」、それに加えて「グローバル金融資本主義」の進展という21世紀型の世界の構造変化がある。しかも、そこに米単極主義の失敗がだれの目にも明らかとなり、「無極・非極の世界」が出現している。「暴走する世界」(A. ギデンス) 、「暴走する資本主義」(ロバート・ライシュ)は「ワーキング・プア」等、世界の市民・勤労者の暮らしを脅かし貧困と格差をもたらしている。
それでも筆者のような地方にいると、地域の自治力・創造力は地方財政危機のなかできたえられ「市民力」がついてきているように感じることもできる。幾重にも困難が重なる21世紀型の重い課題に対しては、一方ではグローバリゼーションという上方統合( マネー世界) の負の側面を制御し、他方では地域・社会解体という「下方拡散」に対しては自立分散型の地域形成に努めてゆく「民主主義の民主化」という、粘り強い二つの正攻法に期待を寄せるしかあるまい。「極端な時代」(ホブズボーム)の20世紀をなんとか乗り切った人類なのだから、いずれ「大きな知恵」が形成され・共有されるのだ、と信じたいものだ。
(生活経済政策2008年8月号掲載)